はじめに
NHKで放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル : さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」をシン・エヴァンゲリオンを劇場で見た上で視聴しました。
本記事は中編で前記事は以下。
以下はネタバレありの感想です。
ガラガラポン
庵野さんはPartAと呼ばれる部分のビデオコンテを見た感想を聞かれると「色々やんなきゃなって」と一言。密着カメラマンが続けて「今後は庵野さんがやられていく?」と再度聞くと「うん、もう時間ないから」と言います。
そこからは庵野さんが編集室にひきこもり、布団を引いてもいない畳の上で寝ている庵野さんが映ります。ひょえ~...
そして2018年6月。メインスタッフを集めた会議で「Aパートごと書き直そうかな。僕の台本が全然できていないことがよく分かった。Aパートが必要かどうかっていうところから立ち直って0から作り直したい」と語ります。9ヶ月作ってきたものがお釈迦になるという壮絶な現場...
皆の思い
庵野さんは「作品至上主義っていうんですかね。自分の命と作品を天秤にかけたら作品の方が上。結婚してからなかなかそうも行かないけど、それでもギリギリそこはある」と語ります。
この時期での脚本の作り直しは異例のようで、監督の鶴巻さんは「やっとおもしろくなってきたんじゃないですか、ドキュメンタリーとしては。制作としてはほんとしゃれにならないですよ」と力なく笑えば、周りは「いつものことですよ」「最後だし思う存分...」とフォロー。
そして一人のアニメーターに「振り回されてるのになぜ庵野さんと仕事を?」と問うと、「なんでかなぁ。確かになんでだろうって思っちゃった」と言いながら、「一番は好き勝手なことをやらせてくれる。プランがしっかりしている現場ではそれ以上のモノを要求されない」とこの現場の特殊さに触れ「だからといってこれがいい仕事の進め方とは僕の口からは言えない」と続けます。周りのスタッフの気苦労たるや...
庵野の中身
庵野さんの奥様の安野モヨコさんは「(彼は)仕事ばっかりでこの人死んじゃうんじゃないかと思った。」と言い、「ちゃんと生きるということ放棄していて誰もお世話しないの?じゃあ私やるよ、という感じ」と馴れ初めを語ります。ちなみに「食べ物が一番大変」と言い、庵野さんは肉や魚を食べずにお菓子ばかり食べている偏食の模様。
また、庵野さんにもツッコめる数少ない人のようで「自分のことかわいいって思ってるでしょ?」と本人が自分自身を許されキャラと思っている節があると笑います。
庵野さんはバックグラウンドとして、父親が不慮の事故で片足を失ってからは「父親は世の中を憎んでいた」と言い、そこから「欠けているものが日常にあって、全部が揃っていないほうが良いと思っている感覚」があると振り返ります。
クリエイター気質は昔からあり、大阪の芸大に進学した時には既にプロ顔負けのアニメを作っており、”爆発を書かせたら天才”と言われていたのが23歳。
そこから宮崎駿さんの現場で「風の谷のナウシカ」のクライマックスシーンの”巨神兵の爆破シーン”を担当したとのこと。知らなかった...
宮崎駿さんは当時の庵野さんを「スタジオに住み着いていた。あいつ一日何時間仕事してたんだろ」と当時裸足で寝ながら創作していた様を印象的に語り、そこからの庵野さんは28歳の若さで監督デビューし、33歳でエヴァンゲリオンを立ち上げた経歴があると紹介されます。当時のエヴァ制作メンバーは「監督部屋からずっと帰ってなかった。肉とか魚を食べないから風呂入ってなかっても臭くなかったがそれでも臭くなり始めた。鳥小屋みたいな臭い」と爆笑発言。
アニメ版エヴァンゲリオンでは最後は制作が追いつかなくなり、スケッチのまま最終回が放送。それもコミコミで「伝説のアニメ」と評されるも一部のファンからは「庵野は作品を投げ出した」と言われていたんだとか。
終わりに
いやー、この鬼気迫る作品への向き合い方は今の時代の「働き方改革」目線から見ると相反しますよね。しかもそれを還暦近いおじさんが現役でやってるんだからすごい...。
世間の「投げ出した」という声をかき消すように、当時のスタッフが「監督部屋からずっと帰ってなかった」と証言する様にはなにか痺れるものがありました。自分も頑張らないとなぁ..